父が亡くなって10年。薄情な娘が思うこと。

父が亡くなって10年経ちました。

今、実父の具合が悪く、介護休暇を取得している同僚がいます。

ずっと休んでいるわけにはいかないので、1日休んでは2日出勤したり、半休取って遅れてきたり早退したり。

疲れもあるのでしょうが、元気がなく顔色がすぐれません。

80歳を超えたお父様なので、おそらくお別れが近いのではないかと想像します。

私の父は10年前に、あと数日で80歳という年齢で亡くなりました。

最後は認知症を患っており、施設で亡くなったのですが、悲しいという思いより、ホッとした気持ちが先に立ちました。

亡くなる2週間前から意識がなくなり、舌根が自分の喉を塞ぐという大変苦しい亡くなり方をしたのです。

正直なところ、息ができず、苦しそうな顔を見ると早く楽にしてあげて、と思ったものです。

認知症が顕著になり始めた頃から、思い違いをする、怒りっぽくなる、散歩に出掛けて家に戻れなくなる、よく転げるなど、通りいっぺんの症状は出ました。

なにより困ったのが、デイサービスや、ショートステイに行くのはまっぴらごめん!と拒否されたことです。

赤ちゃん扱いされるということにも怒っていましたが、なにより、デイサービスやショートステイに行くほど自分は衰えていないのだと、進める私たち家族や、ケアマネージャーに対して、怒りを隠しませんでした。

もう客観的に見て、一人で生活することなどできず、姉や私の介助が必要なのに、私たちには全く協力的でない父に、実の娘である姉と私は、やさしくなれませんでした。

その点、義理の兄、姉のつれあいは、もともと他人であることや、昼間は父の様子がわからない、同じ敷地内に住んでいても、自分の家に戻れば関わり合いがなくなるので、舅の立場である父に優しく接してくれました。その態度に、実の娘たちが救われていました。

血のつながりがあるとつい、お互いが感情をぶつけ合い、冷静になれないことも多かったです。

3月の早朝、気温が低くあたりは静かな中、トイレのあたりでカチャカチャ音がします。

あ、父が何かやっていると思い、覗いてみると、大工道具を出してきて、トイレのノブを取り外して分解している真っ最中でした。

時計をみると朝5時。まだ外は薄暗い。現状から察するにおそらく1時間くらい前からやっていたようでした。

声をかけると、びっくりして、というより、父がどうしよう、というような困った表情で、

「いや、なに、壊れていたから修理していた」と言います。

修理しているつもりで、分解して元に戻せなくなって、途方に暮れていたところに私に声をかけられて、どう取り繕ろおうか、と思っていたように見えました。

「まだ朝が早いし、大きい音がすると近所に迷惑だから、もう少し時間が経って直そうか」と言って、父を一度寝室へ戻し横になるように言いました。

とりあえず、ややこしい状況から解放されて父もほっとしていたようでした。

もちろん、次に起きてきたときは、自分がやったことなど覚えていません。

トイレのドアが開きっぱなしは困るので、出勤前の義兄に来てもらって、元通りにしてもらいました。

父のこの行動に対して、悲しいとかがっかりしたとか、怒りが湧くなどの感情はなく、ただただ、どんなに頑張っても、認知症になればこうなるんだなあと実感しました。

認知症の悲しいところは、「時々わからなくなって、大抵はわかっている状態」が、だんだんと、「大抵はわからなくなって、時々まともになる状態」に移行していくことです。

自分がどうしてそんなことをしてしまったのか、愕然とし、落ち込み、自分が自分のプライドを傷つける。誰のせいでもなく、加齢のせい。

生きていれば自然なことなのに、理性があるゆえに、自分の行動に愕然とする。

長生きはおめでたいというものの、本当にそうなのかな、何歳まで自分は自立して生活できるんだろうか。思っても仕方のないことですが、父のことを思い出すたび、あの亡くなり方は嫌だな(苦しそうで)、できたら、夜中に突然ぽっくり、が理想だけどねえ、などと想像するのです。

たぶん、そんなに都合よくいかないのが世の常とわかっていても。

おまけ:今日の猫

鳥さん来ないかな

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