平凡な遺伝子を持つ私の20年後を実感する

おばあちゃん

今年82歳の叔母を訪ねて数十分の立ち話を。

家が近くて、子供の頃はお互いの家を頻繁に行き来していました。

いとこも同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学に通い、社会人になっても、ちょっとしたイベントがあれば一緒に楽しく過ごす間柄でした。

叔母はとんちが効いて楽しくて、天然なところがみんなに愛されて、20歳年上でもよく話が合って一緒にいて楽しかったです。

私の姉も同様の感想を持っていて、似たような環境で一緒に過ごした年月がそれなりに長いので、もともとの性格が合ったということもあり、しばらく会っていなくても会えば昔話で盛り上がっていました。

今回、1年ぶりに訪ねてみると、これまでと雰囲気がちょっと違う。

年の取り方はひとそれぞれだけど、80歳の壁を今回は、しみじみ感じました。

コロコロ笑うあの声の張りというか、元気さがちょっと影を潜めて、ああ、しんど、という疲れのようなものが見えます。

一緒に話していて確かに楽しいものの、あ、長居をするときっと反動がくるなとこちらが気を使うような、以前の元気な叔母とは違う雰囲気がありました。

歳を言い合って、「ええええ!そんな年になったんかいねえ」と驚くのはお互い様(笑)。

差が縮まることも開くこともなく、20年先の私の姿がそこにあるような気がしました。

ほぼ、同じ遺伝子を持っている叔母ですから、若干の誤差はあれ、80歳を超えると自分も今の叔母程度には小さくなるんだなあ。

瀬戸内寂聴さんや、佐藤愛子さんの遺伝子はきっと特別。

あと20数年後、私は自分で納得した生活ができているかしら。

おまけ:今日の猫

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