自宅で介護。外食することが贅沢だった頃。

私の父は、80歳で亡くなる数年前から認知症を患っていました。

ちょっとした物忘れから始まり、理解力の低下、怒りっぽくなるなどなどの一通りの症状を得て、誤嚥からくる肺炎のため入院、そのまま寝たきりとなって、病院で亡くなりました。

認知症の症状が出て、誤嚥肺炎を発症するまでの3年程度、自宅で介護をしました。

主な介護者は私の姉でした。

一番困ったのは、デイサービスやショートステイにいくのを嫌がったため、ずっと自宅で診ていなくてはいけなかったこと。

大人しく機嫌良く居てくれるのだったら良いのですが、通院の介助、日用品の買い物、3食の支度、話し相手を姉に求めていました。本来なら母の役目なのですが、母の方が先に認知症を発症したため、施設に入所していて、姉がその代わりを勤めました。

夜は、私が父の隣の部屋で寝て、夜中に起き出したり、不穏な動きがある時は、止めていました。正直、昼夜逆転している時期は、寝不足になりました。

それに・・・

何かのスイッチが入ると、父の機嫌が悪くなるのですが、こちらには全く思い当たることがない。

姉に怒っているらしい時は、私がそれとなく理由を聞き、私に腹を立てているらしい時は、姉が探りを入れる、そんな生活でした。

食生活も、血圧やコレステロールに気をつけるよう病院で言われていたこと、老齢で歯が悪くなっていて、硬いものが噛めなくなっていたこと、飲み込みが悪くなっていたことなどなどから、3食用意していた姉は相当なストレスだったと思います。

介護中に、一度、父の兄弟が一緒に1泊の旅行へ連れ出してくれたことがありました。

父の兄弟とそのつれあい、5人で1泊の温泉旅行へ行くと決まった時は、姉も、義兄も、私も本当にほっとして、父も楽しみにしていましたが、なにより我々家族もその日を心待ちにしていました(笑)。

そして、父を送り出したその夜。

3人で居酒屋へ行ってご飯を食べました。

駅前のチェーン店で、楽しく、美味しく、心地よく酔いました。

あの時のホッとした、解放された気持ち、たった数時間の居酒屋ご飯が至福の時でした。

父は、自分が家族の負担になっているとは全く感じていなくて、むしろ、もっと話し相手をして欲しい、とか、自分の都合で家族が動くのは大したことじゃないと考えていたようで、父の機嫌一つで、その日のスケジュールが狂うということはよくありました。

こちらはこちらで、もっと感謝して欲しい、私たちにも生活があるのだから、わがまま言わないで、少しは我慢して欲しいと言う気持ちもあり。

その本音を言ったとしても、おそらく、父にそれを理解するだけの判断力はもうなかったように思います。

父が亡くなって10年ですが、父が、もう少しデイサービスや、ショートステイに機嫌良く行ってくれたら、介護する私たちも休む時間があったのになぁ、そして、娘たちも自分のために色々やってくれていて、少しは休ませてやろうという気持ちが芽生えてたら、あの頃、もう少し楽に介護できてただろうに、と今も思います。

昭和一桁生まれにとっては、介護サービスを受けることが恥ずかしいことなのだったのかも知れませんが。なので、私は、介護サービスを受けましょう、と言われたら素直に受け入れるつもりでいます。

介護される側もする側も、お互い良い関係でいるためには、自分の主張をするばっかりではね。

おまけ:今日の猫

火の番で忙しい猫

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