若い頃と比べて、やりたいこと、行きたいところ、食べたいモノ、全般に〇〇したいこと、という気持ちが少なくなってきたと思います。
これ以上、収入が増えるわけでも、素敵な出会いがあるわけでもなさそう、というある程度のゴールが見えていることと、したい、やりたいの反対側にある、そのための努力を続ける熱意がなくなってきたせいでしょうか。
思い返すと、ティーンエイジャーからおそらく40代前半までは、スターと呼ばれる人に熱をあげて、追っかけたり、CD、DVD、雑誌の切り抜き、レアと呼ばれるお宝の収集、かなりの時間とお金、つまり、熱意を傾けていました。
一緒におっかけた仲間との思い出は懐かしく思うものの、さて、その追っかけの対象だった人たちに未練があるか、なつかしさがあるか、と自問するとそうでもない(笑)。
むしろ、若気の至りであったとちょっと恥ずかしい部分は大いにあるな、と思います。
あたくしは、高校生から大学生にかけて、オフコースの追っかけだったのですが、当時はもちろんインターネットを通じたネットワークを広げるというツールはなく、もっぱら音楽雑誌やファンクラブの「ペンパル募集」を利用するのがせいぜいでした。
今だったら、個人情報を雑誌や不特定多数の人が閲覧できる場所に開示するなんてもってのほか、まして、当時未成年ですからね。
しかし、あの頃はのんびりしたいい時代で、ペンパルを募集すると、同じ嗜好を持った礼儀正しい人たちがお手紙をくれました。
お互い、恋人ができたり就職したりして、おっかけ熱が冷めていくにつれて自然消滅した間柄ではあったけれど、当時過ごした時間は今も懐かしく思い出します。
遠く離れた間柄であったにも関わらず、お互いの家でのお泊まり会も経験しました。
当時、親御さんはさぞかしびっくりされたと思いますが、みんな礼儀正しい子女でしたので、特に問題はありませんでした。
さて、本題の「今、会いたい人」ですが。
正直、いません(笑)。
当時の仲間に偶然であったらどうなんだろう、と思う気持ちはあるものの、どうしても、という気持ちではない。楽しい思い出は、楽しいままでという気持ちの方が強いかも。
では、亡くなった父に会いたいか。
これもNo。父が亡くなるまでは、姉夫婦とわたしで十分介護しましたし、特にやり残したこともなく。
もしかしたら、あたしたち姉妹が特別に冷たいのかもしれないとは思うものの、
「お父さん!会いたいわ!」とも思わないのです。父はその人生を、悔いなく全うしたと思います。
母は、介護施設で存命ですし。
むしろ、私が死んでからあの世があるとするなら、これまで見送った動物たちに会いたいと思います。
特に、今思い出しても胸が痛む様な別れ方をした、犬、猫には会いたいなぁと。これは、父とは違ってやり残した、というか、別れ方に悔いが残っているから。
もし、会えたら、ごめんねと言いたい。
小学生の頃、初めて寝起きを一緒にしていた犬。友達の家に一緒に行って、目を離したすきに行方不明になってそのまま会えなかった仔。
生まれて初めて、病気で亡くした猫。知らないことが多くて、ずいぶんかわいそうな目に合わせたと思います。
だから、私が今、会いたいと思う人はいませんが、もう一度会いたいと思う動物たちはたくさんいます。平均余命からいうとあと20年あまり、あの世でまっててくれるかしら(笑)。
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