給料日1週間を過ぎると、給料日前のように感じていたあの頃

給料日

先日コミックエッセイなるものを読んでいた時に、出会った言葉ですが。

「最大の仕返しは、それが気にならなくなるほど自分が幸せになること」

コミック内容は、小学生の頃同級生に、気まぐれ的に意地悪をされていて、嫌だったけれども中学生になってからは、環境が変わって気が付けば、その意地悪が遠い昔のように感じられるほど、新しい友達と良い関係ができて、文字通り「昔のことが気にならなくなるくらい幸せになっていた」というものでした。

まさしく!

短絡的な仕返しは、確かに一瞬スカッとはするものの、お互いに遺恨を残すことは多いです。

だけど、たんたんと自分がされて嫌だったことは人にはしないで、自分がされて嬉しかったことはしてあげる。こういった当たり前のことをしていれば、いつの間にか自分が快適に暮らせる環境が整っている。

これって、実はワタクシ、最近しみじみと思うのであります。

すでに何度書いているように、離婚を経験しているのでありますが、その当時、正直自分がなぜこんな目に遭うのかさっぱりわからず、それでも、自分が至らなかった点があったのではと、強がって人には言いませんでしたが、しみじみと悲しい夜もありました。

ただ、離婚理由が元夫側の有責であったため、それ相応の慰謝料という形で決着をつけましたが、それ以降は全くお互い連絡をとっておりません。

しかし、このSNSが発達している昨今、知り合いがそのSNSから知った様子を時々私の耳に入れることがありますが、正直全く興味がなく。

元夫も60歳を過ぎ定年したようですが、今更、近況を耳打ちされても、だから?という気持ち。

私の方は、程々の毎日で、何か大きな苦難とか心配事とかはとくになく、このまま穏やかな老後が待っているんだろうなあという生活をしている中、むしろ、あのまま夫婦を続けていたらもしかしたら、今のような平穏な気持ちはなかったかもしれない、と想像します。

つまり、元夫だった人とわたしとの価値観はやはりズレがあって、車や着るもの、交際費に糸目はつけたくないというタイプの人と、車は乗れれば良い、着るものは似合っているものをTPOに応じて、交際費は冠婚葬祭以外はできるだけ質素にというタイプが、限られた収入の中で折り合うのは難しかったかと。

婚姻中もその点でいつも葛藤がありました。

収入の大きい方に合わせるのが正しいのかも、そちらのほうがいわゆる一般的なのかも、とつい元夫との衝突を避けて、見て見ぬふりをして暮らしていましたが、振り返ってみると、あの時期は入ってくるお金も大きかったですが、安心して暮らしていたとは言い難い。

給料をもらって1週間もすると、なぜか気持ちは給料日前(笑)。

納得しながらの家計運営ではなかったのでしょう。

元夫には彼なりの思いがあるのは理解しながらも、納得できない出費がなにしろ多かった!

その当時を思い返すと、現在、薄給ではありますが、あの頃のように、給料日が待ち遠しいと焦る気持ちもなく、平穏に暮らせています。

なので、離婚騒動中は色々な思いが渦巻いて、本当に苦しかったけれども、今は、心からあれで良かったのだと思えます。

このことに気づくのに、長い時間はかかりましたが、長い時間をかけたからこそ、これからもずっと穏やかに暮らせる術を知らず知らずのうちに身につけたんだろうなあという思いです。

おまけ:今日の猫

邪魔する気マンマンでっす!

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